学生時代は将来何がしたいかわからないまま音楽に没頭
新卒で入社した会社がブラック企業で身体的、精神的に限界を感じ退職
その後、IT企業に転職するも倒産
働く意味について真剣に向き合った結果、労働法に興味を持ち、社会保険労務士の取得を決意
2年後、社会保険労務士試験に合格
転職し、IT企業から人事に職種転換を果たす
しかし、3年後に2度目の倒産
さらに転職し、現在は人事・労務のプレイングマネージャー
目次
経歴詳細
小学校ほぼ不登校
中学校ほぼ不登校
中学の時の成績は、ほぼオール1
私は小学校1年からほぼ学校に行っていません。
なぜ、学校に行かなかったのかというと、極度の人見知りで知らない人といるのが嫌だったから。
しばらく学校に行ってないと行かないことが普通になり、逆に学校に行って変な目で見られるのが嫌でさらに行きたくなくなるという負のループ。
家ではずっとゲームをやっているというダメ人間。
小学校5年からちょっとずつ行き始めましたが全然勉強はせず小学校を卒業。
中学校は真面目に行こうと思いましたが、テストをやってみ全く分からず、がんばっても30点くらいでした。
学校に行っても友達の作り方が分からないため、あまり友達できなくい。
だんだん学校が面白くなくなり、また休みがちに。
(暗いですね)
そんな時、家にあったギターを手にし、学校行かずにギターを練習。
このままではヤバイと思った中学3年
中学3年の時に「this is a pen」が読めず、「このままではヤバイ」と思い人生で初めて勉強をしました。
ですが時すでに遅し、高校はほとんど行くところがない。
とりあえず「軽音楽部がある学校に行く」ということだけで低偏差値の高校を受験。
高校受験を記号だけ書いて受かりました。
高校で学年10番以内に
高校では常に成績が学年10番以内でした。
なぜそうなったかというと、高校でいきなりテストをした時になぜかクラスで14番で、人生で初めて平均より上に行ったという事に衝撃を感じたから。
「もしかして勉強すればもっと行けるんじゃないか」そんなふうに思ったのです。
そこから勉強にはまって、テストでは好成績を納めていきます。
高校からはほぼ休まず行き。部活は軽音楽部で部長を勤めました。
結果、大学の推薦枠を取り、推薦で大学へ行きます。(基礎学力がないため、大学受験していたら確実に落ちていました)
とにかく音楽にのめり込んだ大学時代
大学では「情報」を専攻。
ソフトウェア開発の授業を中心に学んでいました。
サークルはジャズサークルに入会。
大学では授業よりジャズという音楽にどっぷりはまり、ひたすらギターの練習とライブの日々を過ごします。
この時、将来の事は何も考えておらず、「学生のうちに音楽でどこまで行けるか試してみよう」と思っていました。(アホですよね)
やりたいことがないまま社会人へ
音楽は結局プロになろうというまではいかず、就職することを決意します。
しかし、この時大学で学んだ情報系の事はあまり興味がなくなり、自分のやりたいことが一切わからなくなっていました。
就活ではいろんな会社を受けましたが最終的に選んだ会社がまずかった。
ココが『ブラック企業』だったのです。
ブラック企業退職と会社の倒産
社会人1年目。ソフトウェア開発関係の人材として入社します。
そして2ヵ月東京での研修が終わった後、なんと台湾へ半年間の長期出張命令が下されたのです。
しかも台湾で行う仕事は大型精密機器の組み立て(クレーンとか操ります)
そう、私が新入社員で初めて行ったの仕事は台湾で力仕事でした。
そこからは地獄の日々。
朝4時に起きて、5時にホテルを出発。
そこからコウモリのいる台湾奥地に送り届けられ、機材を人力で運びハンマーを持ってひたすら組み立てていきます。
仕事中は座るのは禁止でした。座ったら罰金です。
それが早い時で18時、遅いときは24時くらいまで働く。
しかも週6勤務です。(休みは日曜だけ)
そんな事が半年続いた後、帰国します。
そしてすぐに大阪の埋立地へ長期出張。
状況は同じく週6勤務です。それが半年。
入社して1年2ヵ月、私はある朝起きれなくなりました。
肉体労働にも精神的にも限界がきたのでしょう。
大阪出張が終わり、会社を辞めることを決意したのです。
会社を退職して2ヶ月後、携帯電話のアプリケーション開発会社に就職します。
就職とはいえ、契約社員ですが。
行っていた業務は携帯アプリのテストとサイト構築。
ベンチャー企業でしたが、わりと楽しんで仕事をやっていました。
しかし、入社して10ヶ月後、突然会社から業績不振により解雇されてしまったのです。
途方に暮れ、失業保険をもらいながら次の職を探そうと思って離職票を自宅で待っていました。
数日後、離職票が届いて驚愕します。
「自己都合退職」と書かれていたのです。
「これは違うでしょ」と素人だった私でも分かります。
おかしいと思い、いろいろ調べて離職票をハローワークに持参して事情を説明しました。
なかなか会社が認めず時間がかかりましたが数週間後、ハローワークから連絡があり、「会社都合」と理由の変更が認められ、無事失業保険を貰うことができました。
日本の労働について真剣に向き合った
ブラック企業の入社や会社の倒産、離職理由の相違など、社会人になってさまざまな事がおき、「日本の労働とは何なのか」ということを真剣に考え始めました。
そこから労働法や給付金の制度、社会保険について調べていき、だんだん日本の働き方や制度を知ることが面白くなっていったのです。
調べていくと「社会保険労務士」という労働法の専門の資格があることを知ります。
私はこの時「これだ!」と思い、社会保険労務士になることを決意しました。
自分と同じ境遇には遭わせたくない
社会保険労務士(社労士)になって何がしたいのか。
それは「自分と同じ境遇に遭わせたくない」ということです。
「ブラック企業を中から変える」
「退職する社員にこういう制度があると事前に説明し、退職後も悩まず過ごせるようにする」
「会社でより良い環境を提供する」
社員を自分と同じ境遇に遭わせないような環境を作る側に就きたいと思うように思ったのです。
そこから社労士試験に向けて猛勉強の日々が始まります。
無職で社労士を猛勉強
社労士を取ると決めてから就職をせずに全ての時間を勉強にあてることを決意しました。(24歳の時です)
勉強を開始した時は「この限りではない」・・・は?
というレベルです。
ただひたすら勉強、勉強、勉強の日々。
そして1回目のテストで撃沈します。
原因は勉強不足もありましたが、前日緊張で寝れず、当日もずっと緊張して、頭が真っ白になってしまったのです。
この時私が思ったのは「1年で合格できるわけない」です。
そして2年目、変わらず毎日、毎日勉強し続けました。
結果、2回目で合格率7%の社労士試験に合格しました。
社労士合格後
社労士に合格した時は給与計算を専門にやっている会社に契約社員で入社して2ヵ月目でした。
社労士合格後、1年で正社員に昇格しました。
これでやっと安定した暮らしができる。そう思った矢先またも壁にぶち当たります。
2度目のリストラ
正社員になってから1年後、事件がおきます。
2度目のリストラです。
とある企業の子会社だったのですが、解散となりました。
結果、親会社に引き取られるのですが、代わりに正社員から契約社員に降格。
また振出しに戻りました。
それから3年、契約社員のまま働いていました。(障害者より低い給料でした)
この時、東京で働いていましたが、一回地元に帰ること考えます。
なぜかというと、地方出身の私にとって東京の環境はあまりなじめていないなと実感していたからです。
そしてちょうど契約の更新が3回目の時、上司に「地元に帰ります」と告げ、退職することにしました。
ちなみにこの年に結婚もしています。
地元に戻ってどう変わるのか
会社を退職し地元の企業に転職しました。(正社員採用です)
これで私は
・社労士になる
・地元に帰る
という目標を達成したことになります。
自分の中で目標が達成したという達成感ができました。
ゴールにたどり着いた感覚です。
また、地元に戻ったことによって自分がどう変わるかという期待でいっぱいでした。
そしてここから次のステージになっていきます。
やりたいことを見失う
地元に戻ったはいいものの東京との感覚の違いに戸惑ったというのが第一印象です。(今もそうです)
一言で言うと「のんびりしすぎている」
「これから再出発だ!」と意気込んでいたはいいものの、周りが「のほほ~ん」としており「あれ?」となってしまいました。
確かに環境は最高で、過ごしやすく、体調も良くなり、ストレスも減ったのですが、なんかモヤモヤした感覚に陥ってしまった。
「社労士を取ったし、地元にも戻れた、さあ地元でもっとがんばろう!」となってた気持ちが一気に沈み、周りの空気に流されそうになります。
簡単に言うと「がんばらないオーラ」に犯されてしまいそうな感覚です。(伝わるかな・・・。)
そして目標も失いました。
「あれ?何のために社労士取ったんだっけ?」「なんのために地元に戻ってきたんだっけ?」
地元に戻って数ヶ月。わからなくなりました。
一冊の本が考えを変えた
やりたいことを見失って、どうしようとなっている時に一冊の本に出会います。
それはキンコン西野亮廣さんの「革命のファンファーレ」という本です。
サラリーマンをずっとやってきた私にとって、全くの新しい世界がある事を知るきっかけになりました。
この本で「お金」「時間」「情報」の考え方がガラリと変わっていきます。
あまりに衝撃だったので、即行でオンラインサロンに入会。
「自分に大きな変化が来そうだな」と感じました。
そこからビジネス書を読みあさり、すべての時間を情報のインプット時間に変えます。
これが2018年9月の出来事です。
情報発信へ
2019年2月
このブログを開設しました。
「革命のファンファーレ」を読んだことをきっかけに、いろんな情報をインプットした結果、情報発信で結果を出すと決めたからです。
最初はTwitterでつぶやいていましたが、なかなか続かず、ブログで情報発信をすることを決めます。(Twitterは今もやっています)
なぜブログかというと、コツコツ地道に継続してやることが得意だからです。(それだけ)
初めはブラック企業で働いている人向けにブラック企業の体験や脱出方法書いていこうと思っていました(今もたまに書きます)
でも、なかなか成果が出ないし、そもそも本当に書きたいことなのかという迷いもありました。
ブログ開設から数ヶ月後、情報発信を学ぶオンラインサロンに加入(ミレラボ)
徐々に知識を得ていきます。
なんだかんだブログを開始してからは半年以上はインプットの期間に費やしていたいました。(半年で30記事くらいしか書いていないと思います)
でもこの時、なんのために情報発信をしていくかは明確に定まっていない状況です。
オンラインサロンの主催者にブログを見てもらっても「何を目的に発信しているか伝わってこない」とご指摘を受けたほどです。
「働く理由を見つける」手伝いをしたい
次の目標が定まらないまま月日が流れていたある日、Voicy(ボイシー)という音声メディアで、税理士の大河内薫さんが「僕の人生をかけての目標は、お金の教育を義務教育に導入すること」とおっしゃっていました。
それを聴いた時、「これだ」と思いました。
私もお金の教育を変えるお手伝いがしたい。
そもそも「働く=苦しい・つらい」というイメージがあるのはなぜか。
それは「お金を稼ぐ=苦しさに耐えること」という昔の常識を大人が子供に教育しているからだと僕は思っています。
時代は変わりました。
仕事とは?お金とは?学校とは?
この考えを改めて考える段階に間違いなく入っています。
仕事は苦しいものじゃなく「世の中の役に立つことをする」です。
お金は「感謝の量」です。
単純作業はAIがやってくれます。
一人一人が考え方を変えなければいけません。
そのためには「教育を変えなければならない」
そういう結論にいたりました。
私の情報発信で、一人でもより良い働き方ができるきっかけになれば幸いです。